MY LIFE LOG

ブログタイトル、変えてみた

自分自身喪失の危うさ

 

今回ブログを始めたのはズバリ『わたしにとっての自由』を見つける過程をつくるため。

今のわたしには『自由』っていうものがよく分からないから。

 

つい最近自分の中で大きな転機を迎えるきっかけがあった。

大学の転部試験に落ちたことだ。

第一志望の大学には受かったが、どうしても第一志望の学部に通りたかったのだ。

これ以上ないくらいに勉強したし、自分でも受かるとしか思ってなかった。

だからこそ、不合格だと知ったときに信じたくなかったし、

悔しくて悔しくて、人目もはばからずに泣いてしまった。

 

不合格の発表があった日はどん底にいるような気分だった、

 

だけれど、、次の日起きてみるとどこか気持ちがスッキリしている。

 

これ以上ないくらい頑張れた自分がいた、

そしてそれ以上に、

”試験に合格したら人生が変わるんだ”という受動的な考えを持っていた自分に気付いたのだ。

 

”今の学部を出て、その学部に行けば、人生うまくいくんだ”

そんな偏った考えを持ってきたからこの1年、

今の学部の環境を大事にしなかったし、友達ともどこか距離を置いていた。

 

わざと今の環境を嫌いになって居場所を無くして、

自分を奮い立たせていたつもりだった。

 

でも今ならそれは違うなって思える。

仮に受かったところでその場所でいい人に出会えるとは限らない、

また新しい問題も出てくるだろう。

そもそも今の環境や仲間を大事に出来ない人はどこに行ったって何も大切に出来ないんじゃないかなって。

 

今の学部の友人はみな温かくていい子だ。

だからこそもっと身近にいる仲間を大事にしないとダメだと感じた。

 

つい最近個人的に学部の友人に今までの出来事と今までの自分の考え方を全部話した。

友人は話を聞いて、それほど驚きもせず、まっすぐな意見をくれた。

これからの私に期待してるとも言ってくれた。

 

とりあえず話せてよかったなと思えた。

 

 

今まで環境に依存して、幻想を抱いてた。

”どこに行くかは大事だが、結局は自分が何をやるかが一番大事”

今ならその言葉がよく分かるのだ。

 

そう思えば今までの20年間、

周りの環境や自分自身の生き方まで他人に依存して生きていた。

 

うまく行かなければ、環境のせい、人のせい。

 

自分の生き方だって、

常に人の目を気にしてビクビクして

嫌われたら、自分を否定されたら、”生きてる価値がない人間”になってしまう、、、

肯定されている時だけ生きている気がしてたんだ。

 

だけど、人の評価なんて移ろうもので

とっても脆いものだから、、

 

 

 

他人の評価を気にし続けたら、楽しくないよ。

ほんとにつまらない人生で終わっちゃうよ。

やっと、やっと、実感してるんだ。

 

いい意味で”自己中心的に生きる”

これってとっても大切なことなのでないかしら?

 

そしてそこにこそ”自由”があるのでは、、、?

ただまだ”自由”が何なのかは分からない。

だからこそ探しにいく。

 

”自分の人生を、今を、自分自身が生きる”

 

やっと気付いたのです。

また新しい人生のスタート。